アルコリ夫婦の日々

我々夫婦の日常や妊娠のことなどをメインに。

稽留流産③~手術後~

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帰宅

手術を終えてからおよそ一時間ほど動けずに病院のベッドで休んだ。

その間に2回吐いた。

万全では全くなかったけど、早く帰ってゆっくりしたい気持ちもあって、なんとか動けそうと思って帰宅することにした。

当日婚姻を終えておらず、住んでいるところも別々。

病院からは夫が一人暮らししている家の方が近かったので、そのまま夫の家の方へ帰った。

車で15分くらいの距離だったと思うけど、もともと車酔いしやすい体質なうえに、麻酔の効果もあって、かなり吐き気がすごく、ちょうど着いた時にまた吐いた。

完全には回りきっていない頭でフラフラの状態で部屋に入り、私はそのままベッドで眠った。

手術が午前中開始で、お昼過ぎには帰宅していたけど、起きたらすっかり夜になっていた。

目を覚ましたらいい香りがして、キッチンに夫がいた。

手術前、私は

「手術が終わったらカレーが食べたい」

と夫に言っていた。

特別カレーが一番好きな食べ物ということもないし、思い出も別にないのに、なぜかカレーが食べたかった。

私が眠っている間に材料を買ってきてくれたようで、カレーを作ってくれていた。

すっかり吐き気やだるさはなくなっていて、前日の夜以降何も食べてなかったから、1日ぶりの食事にお腹が空いた。

カレーの材料の他にも、いろんなお菓子を買ってくれていた。

普段間食をせず、自らお菓子を買うことがあまりない夫だけど、甘いものが大好きな私のためにたくさん買ってくれていた。

この時食べたカレーは家でよく作られるルーを使った普通のカレー。

特別な隠し味が入っているわけでもない。

だけどとにかく美味しかった。

しばらく私の中で夫が作ってくれるご飯で一番好きなものランキング1位になっていたほど。

きっとこのカレーの味は一生忘れることはない。

 

心の不調

手術の翌日は仕事を休んだ。

病院から、広がった子宮が収縮するのにしばらく痛みがあるけど、度合いが人それぞれだから次の日から仕事に行く人もいる、と聞いていた。

だけど、私は痛みが少し強かったこともあり、1日だけ休んで、手術から2日後には復帰した。

事情を話していた上司からはすごく心配されたけど、何でもないようにいつも通りに振る舞っていた。

だけど、今思えば、しばらく休むべきだったかもしれない。

 

当日担当のお客様をたくさん抱える仕事だったのと、事情を話していない他のスタッフになんて説明すればいいかわからないと思い、早く復帰した。

だけど、自分が思っていたよりも、私は強くなかった。

初めての妊娠で流産になり、手術をしたのが1週間内のこと。

頭の中にはずっと赤ちゃんのことばかりが浮かんで、自然と涙が出てきそうになる。

それを、仕事中だからとグッと堪えていたけど、日にちが経つにつれ薄れていくどころか、どんどん蓄積されていった。

心の整理ができていない、グチャグチャのまま放ったらかしにしていたら、そこに積みあがってきた悲しみで心は壊れていった。

 

流産の原因

手術終わりから日が経つにつれて、次第に流産の原因を考えるようになっていった。

稽留流産はお母さんの日常生活は関係なく、赤ちゃん自身の染色体異常が原因だとわかっている。

だけど、本当にそうだったのかな?

私に落ち度は本当になかったのかな?

あの時の行動がダメだったんじゃないかな?

あの時抱えていたストレスが原因じゃないかな?

そうやって、自分を追い詰めて原因探しをしていた。

探したところで正解が出るはずもないし、もしわかったところで赤ちゃんは帰ってこないのに。

そんな風に毎日考えながら、普段通りの仕事をこなし、結婚のための準備を進めて、忙しい毎日だった。

流産から約4ヶ月後、私たちは一緒に新居で一緒に住み始め、籍をいれ、晴れて夫婦となった。

それから約2ヶ月後、突然足元が崩れ落ちるように、私の心は限界を迎えた。

 

うつ病

どうして赤ちゃんは死んじゃったんだろう。

それなのにどうして私は生きているんだろう。

そんな風に考えるようになって、ある日突然外に出られなくなった。

いつも通り朝の支度を終えて仕事に向かおうとしていた。

玄関までいつも見送りに来てくれている夫に手を振り出ていこうとしたのに、急に涙が溢れて、立っていられなくなって、仕事に行けなくなった。

一度崩れてしまったら元に戻ることができず、その日を境に仕事へ行くことも外出することも怖くなって、ベッドの上で過ごす日々が続いた。

しばらくして、うつ病になっているのではないかと思い、手遅れになる前にどうにかしなければと、精神科へ行った。

その時、軽度のうつ病だと診断された。

放っておくと軽度ですらなくなっていたと思うから、早めに病院へ行ったことは不幸中の幸いだったと思う。

 

その後病院へ通いながら、夫の助言もあり、仕事を辞めて半年ほどゆっくりと過ごし、ようやくまた社会復帰できた。

その頃には亡くなった赤ちゃんのことを執拗に引きずり毎日考えて、自分を責めるというようなことはなくなった。

ただ、すぐに赤ちゃんを授かりたいという気持ちは湧いてこなかった。

また同じことになったらという怖さが先立って、なかなか前に進めなかった。

稽留流産②〜手術当日〜

 

稽留流産手術当日

病院と決めていた日程は、流産発覚から3日後だった。

手術のために必要なものがいくつかあり、例えば

バスタオル2枚

生理用ショーツ

夜用の生理用ナプキン

など。

どこかを切るわけではないけど、手術後に血が出る可能性があるため、生理用ショーツにナプキンを装着した状態のものを手術後の着替えとして用意してほしいと言われた。

 

予定の時間に病院へ向かうと、すぐにエコー検査が始まった。

本当に赤ちゃんの心臓は動いていないか最終確認。

何度もドラマのように

「奇跡的に戻ってます!」

となればいいなと願った。

もちろんそんなことあるわけはなく、まだ小さくて、人間らしい姿になりきれていない、だけど確かに生きていたはずの赤ちゃんは、やはりもう動いてはいなかった。

 

いよいよ手術が始まる前、手術部屋へ夫と一緒に通され、ベッドで横になっているよう言われた。

手術の準備をするから待っていてと言われ、最後の3人の時間を過ごした。

夫はずっと私の心配をしながら、何度も手を握ってくれて、頭を撫でて、お腹をさすってくれた。

成功確率の低い、高難易度の手術をするわけではないのに。

だけど、夫のその優しさのおかげで、私はようやく手術に向き合えた気がする。

 

手術時間はそれほどかからないけれど、全身麻酔を行うので、手術後しばらく気持ち悪さなどがありすぐには帰れないだろうと病院から説明された。

私は幸い昔から手術が必要になる病気や怪我をしたことがなかったので、手術自体初めての経験だった。

そのため、全身麻酔なんてもちろん初めてで、少し緊張した。

 

手術が始まる時、夫は外で待つために部屋を出て、そのすぐ後、私は繋がれた点滴から流れてきた麻酔で一瞬で眠りについた。

 

手術開始

眠っている間に手術は行われていたので記憶は全くないはずだった。

 

arupakory.hatenablog.com

こちらのブログでも書いていたように、私は赤ちゃんがいなくなる瞬間を目の当たりにしたくなくて全身麻酔を選択していた。

だけど、手術中私は一瞬だけ目を覚ました。

腹部と下半身に激しい痛みと、掃除機のようなもので吸い上げられていく音。

本当にたった10秒…それほどもないくらい一瞬だけど、目を覚ました私に気付いた先生が急いで麻酔を強めたのか、また私はすぐに眠りについた。

 

手術終了

次に目を覚ました時、私は着替えさせられていて、ベッドにそのまま寝かされていた。

「大丈夫?」

と不安そうな声で名前を呼ばれて、ようやく夫が隣で手を握ってくれていることに気付いた。

夫がナースコールを押してくれたのか、看護師さんが入ってきて私の状態を確認してくれた。

ぼーっとする頭で受け答えをして、異常がないことを確認すると、看護師さんは袋を用意してくれた。

麻酔をした後気持ち悪くなって吐く人がいるとのことで、嘔吐物入れとして用意してくれたようだった。

なんとか動いて帰れるようになるまで一時間ほどそのままベッドで横になり、その間に私は2回ほど吐いた。

 

不思議な体験

帰れるようになるまで、ゆっくりと夫と話をした。

私が目を覚ます10分ほど前に夫は来ていたようで、部屋に入って来た時は心拍がかなり早く、もともと低血圧の私の血圧がかなり高くなっていて驚いたそう。

徐々に通常通りになっていく数値を見て安心しながら待ってくれていたらしい。

 

少しずつ意識がはっきりしてきて、私は手術中の事を話した。

全身麻酔の場合、麻酔が途中で切れることはめったにないそう。

だけど、私は途中で目を覚ました。

目を覚ましたその時は激しい痛みで何も考えられなかったけれど、手術が終わってから、あれは最後のお別れだったんだと思った。

きっとあの時の激しい痛みと、掃除機のようなもので吸われている音は、赤ちゃんが私のお腹から取り除かれる瞬間だった。

意識のないうちに取り除いてほしい、

赤ちゃんがいなくなるのを目の当たりにしたくない、

なんて弱い私とは違い、赤ちゃんは最後に私にお別れを伝えてくれたんだと思う。

別れを意識したくなくて全身麻酔を選んだけれど、それでも最後にお別れがきちんとできてよかったと心から思った。

もしかしたらちゃんとお別れができずにいたら後々後悔するはずだと、私の性格を知って、赤ちゃんが一瞬目を覚まさせてくれたのかもしれない。

夫も、手術終わりに連絡をした母も

「きっとそうだよ」

と言ってくれた。

我が家のお雑煮事情

あけましておめでとうございます!

 

我が家は毎年元旦の朝にはお雑煮を食べるのが定番。

人参と大根で一応紅白を意識して、鰹や椎茸などの出汁に焼いた白いお餅を入れるのがアルコリ夫婦のお雑煮。

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そういえばお雑煮ってお汁やお餅の種類が家庭によって全然違うよね。

私の実家では母がお餅が苦手ということからお雑煮を食べるという習慣はなかった。

なので、お餅大好きだった私は実家にストックがいっぱいあった、お湯を注ぐだけでできる粉末のうどん出汁にレンジで温めた白いお餅を放り込んだ即席お雑煮を1人で作って食べてた。

いつの間にかこれが実家の味というか、私の中でのお雑煮の味になっている。

 

そこから人参や大根を入れたり、出汁パックで出汁をとったり、お餅を焼いたり、と少し改良されたのはアルパカ夫と付き合ってからだ。

 

付き合ってから2人で迎えた最初のお正月の時、アルパカは歯科矯正のためお餅を食べられなかった。

そこで私はスーパーで見つけた餅粉入りのお麩をお餅代わりにしてお雑煮を作った。

当時一人暮らし中のアルパカの冷蔵庫にあったのは人参と大根。

お味噌を入れてしまうとお麩入りのただのお味噌汁になってしまうと思ったので出汁で作った。

 

こうして完成したのが我が家のお雑煮。

翌年からお餅を食べられるようになったのでお麩はお餅へ変更されたけど、それ以外は概ね変わらず。

 

アルパカは私の作ったお雑煮に対して全く違和感を感じている様子はなく食べていたけれど、お雑煮って家庭によって結構違いがあるから、言わないだけで違和感を感じているんじゃないかな。

と思っていたけど、

アルパカの実家へ新年のご挨拶に行ったときに食べさせてもらったお雑煮が、なんと私の作ったお雑煮ととってもよく似ていた。

出汁に白いお餅、人参と大根が入っている。

出汁の味の違いがあるくらいでその他は一緒だ。

偶然にも同じタイプのお雑煮を作っていたことがなんかすごく嬉しかった。

 

お雑煮って本当にいろいろ種類がある。

あんこのお餅が入ったお雑煮をSNSの投稿で見たとき、ぜひ一度食べてみたいと思ったけど、まだ試せていない。

オススメのお雑煮があればぜひ知りたいな。

稽留流産①〜流産発覚〜

 

私は現在妊娠6ヶ月目に突入している。

5月にベビたんが誕生する予定。

最近はベビたんの胎動を感じるようになってきて、ポコンポコンとお腹が動くのを見て

「生きてる」

と安心する毎日。

 

1度目の妊娠

実は今回の妊娠は私の人生2度目の妊娠。

出産経験はゼロ。

つまり、1度目の妊娠は流産だった。

夫と付き合い始めて約4ヶ月後、初めての妊娠がわかった。

その時まだ

「この人と結婚するんだ」

と心底思って付き合っていたわけではなかったから、突然の妊娠発覚に正直戸惑った。

嬉しい気持ちもありつつ驚きもあり、そして何よりも結婚の話なんて全くしてない人に妊娠報告をしてどんな反応が返ってくるのか不安で堪らなかった。

結果的にすごく喜んでくれたし、もちろん結婚をしようと、そう言ってくれた。

そこからまずはお互いの両親への挨拶をした。

両家ともに結婚も妊娠喜んでくれて、一切咎められることはなかった。

それから、妊娠生活について調べたり、入籍はいつにするかなど、慌ただしくこれからのことをたくさん話し合った。

妊娠発覚すぐから食べづわりや匂いづわり、眠気がかなりあり、急に変化する自分の体の状態に着いていくのが大変だった。

それでも日々頑張って過ごし、妊娠3ヶ月目に突入した。

その時の健診で先生から

「赤ちゃんの心臓が動いていない」

と告げられた。

妊娠中は○週の壁と言って、いくつもの壁があり特に妊娠初期はお母さんの注意に関係なく、染色体異常などで流産することがあるらしい。

「染色体異常の場合、妊娠した時点で流産してしまうことは決まっている。だからお母さんは落ち込まないで」

と、妊娠について調べた時に何度も目にしてきた。

だけど、まさか私のお腹の中にいる子が?

受け止め切れない事実に病院で大号泣した。

 

稽留流産

流産にもいくつか種類があるが、私の場合は稽留(けいりゅう)流産だった。

 

稽留流産とは、赤ちゃんがすでに亡くなっているけどお母さんのお腹の中に留まっていること。

さらに、出血や腹痛などの症状がないということも特徴。

つまり、自覚症状がなく、健診の時に初めて赤ちゃんが亡くなっていることを知る。

私はまさにそうで、なんの自覚もなく、ただただ赤ちゃんの成長具合を見れるエコーを楽しみに健診へ行った時に、亡くなっていることを知った。

混乱して号泣していた私に先生は、稽留流産がわかった後はしなければならないことがあると告げた。

それは赤ちゃんをお腹から出すこと。

方法は2つある。

①手術で取り出す

②自然に排出されるのを待つ

 

①の場合、赤ちゃんはまだ小さいので、下から取り出すことができる。

その際部分麻酔か全身摩擦で行うか選択できる。

そして手術日程を決められる。

 

②の場合は経過観察をしながら、自然に排出されるのを待つことになる。

赤ちゃんはまだ小さいので自然に排出されていくそう。

ただし、いつどのタイミングで排出されるかわからないうえに、排出の際激しい腹痛や出血がある可能性があるとのこと。

 

当時男性スタッフ9割の職場で接客業をしていたうえに、まだ妊娠初期ということで職場の人で報告をしていた人は一番上の上司くらいしかいなかった。

さらに、この時はまだ夫と結婚はしておらず、同棲前。

私のいた職場と夫が住んでいたところは車で40分以上かかる場所。

②を選択した場合、赤ちゃんが排出されるのがいつになるのかわからないため、仕事を休む期間が読めない。

そして上記の通り、ほとんど職場の誰にも伝えていない状態。

仕事を休むことはできなかった。

だからこそ、万が一仕事中に赤ちゃんが排出された時、誰に何と言って助けを求めたらいいのかわからないし、夫もすぐには駆け付けられない。

夫は私の気持ちを一番に尊重したい、と伝えたうえで、それでも自分がいないところで何かあるのが心配で堪らないから、と①の選択をしてほしいとお願いした。

私も仕事中や、1人でいる時に起こってしまうことは正直とても怖かったので、迷わず①を選択した。

 

稽留流産手術

手術をすると決め、手術日程を決めたのは流産が発覚した翌日。

悲しみや戸惑い、混乱、いろんな感情で泣き続けていて、手術をするのか自然排出を待つのかなんて、そんなこと考えられなかった。

だけど、いつ赤ちゃんが自然排出されるかわからない状態のため、どうするのか早急に答えを出さなければいけなくて、考えざるを得なかった。

それでも夫のおかげで私も冷静に手術をするという選択をすることができた。

手術の際、

・部分麻酔

・全身摩擦

の2つから選べる。

赤ちゃんがまだ小さいため部分麻酔でも十分に体への負担が少なく手術を行えるらしい。

だけど、私は全身麻酔を選択した。

部分麻酔では意識がある状態で手術をする。

赤ちゃんを取り出す瞬間を目の当たりにする勇気は私にはなかった。

せめて私が眠って気付かないうちに赤ちゃんを取り出してほしいと、そう思った。

ブログデビュー:妊娠と愛する夫

アルパカ夫

うちの夫はアルパカに似てる。

首が長くてまつ毛が長い。

全体的にかなり細身で特に足が細い。

かなりの美脚。

 

ボーダーコリー嫁

嫁の私はアルパカ曰く、ボーダーコリー似らしい。

一緒に犬が主役の映画を観ていたところ、映画の中に出てきた、眠そうな顔をした子犬がいた。

その子犬はボーダーコリーではなかったけど、その犬の犬種を探しているうちに、その犬より似ている犬を発見。

それがボーダーコリーだった。

 

アルコリ夫婦

我々夫婦は結婚して今年で2周年。

現在3年目に突入している。

アルパカはコリーより4歳年上だけどあまり年齢差は感じず、最近はもっぱら人に聞かれた時に歳の差を思い出すレベル。

 

アルコリ夫婦の日常ブログ

アルコリ夫婦のざっくりした説明はこんなもので。

私は今回初めてブログを書いているんだけど、始めた理由は、これから日常が大きく変化するので、その前に日記のように日常を綴っておきたいと思ったから。

というのも、現在私は妊娠6ヶ月。

来年の5月にベビたんが誕生する。

妊娠初期からつわりが酷くて、ようやく最近落ち着いてきた。

ということで、これまでの妊娠中の生活や、これからの妊娠生活・出産・ベビたんのこと、夫婦のこと、何気ないこととかも日記のように書いておきたい。

私が今特に書きたい内容は、

・妊娠

・アルパカ夫についての惚気話

なので、このあたりをまずはゆっくり書いていきたいな。