アルコリ夫婦の日々

我々夫婦の日常や妊娠のことなどをメインに。

赤ちゃんの洋服準備日記

 

先日とっても暖かくて天気もよかったので赤ちゃんのお洋服の水通しをしました!

 

しばらく天気が悪かったのでなかなか出来ず、買ってからずっと袋に入れっぱなしだったけど、ようやく天気が良い日が訪れて、朝からルンルンで洗濯。

 

まずは洗濯機の掃除から。

普段なかなか掃除しないくらいくらいピカピカにして、洗濯槽クリーナーで最後に仕上げている間に、お洋服たちのタグ取りや洗濯ネットへ入れる作業。

全部がとっても小さくて、ネットに入れるときに愛おしさが大爆発しました笑

 

洗濯を終えてからハンガーに掛け、日当たりの良い場所で干していきました。

せっかく暖かいけど、今の時期黄砂や花粉の量が増えてきているから外干しは気をつけなくちゃいけないそう…。

黄砂は粒子が細かすぎて掃っても取れないのだとか。

 

うちの赤ちゃんは5月に産まれるので、時期的にはだいぶ暑くなってくる頃。

可愛いお洋服たくさん欲しくなるけど、産まれてすぐの新生児期のお洋服なんてすぐにサイズアウトしてしまうし、1ヶ月くらいの時に誰かにお披露目する機会もほぼないということから、肌着はいくつか用意しましたが、その上に着るロンパースやボディースーツなど、外出用お洋服は必要最低限だけ用意しました。

本当はあれもこれも欲しくなるけど、とりあえず我慢。

外出できるようになったらここぞとばかりに買うぞ!と心に決めて、いろんなサイトで毎日のようにベビー服を眺めています。

妊娠後期突然の出血

 

先日明け方になんだかお尻が冷たいと思い目が覚めた。

 

まさか破水!?

 

まだ予定日まで50日くらいあるのに、と慌ててトイレに駆け込んだら、なんと破水ではなく出血だった。

先に結果からお伝えすると、母子ともに元気です。

 

妊娠後期、突然の出血で大慌てだった先日の私の1日について今回は書きたいと思います。

 

AM4:00

お尻になんだか冷たい感覚がしてふと目を覚ました。

何か濡れている気がする…。

尿漏れ?それとも、まさか破水?

お尻に触れるとやっぱり濡れていて、慌ててトイレに駆け込んだ。

トイレの電気を点けたら、手には血が付いていた。

びっくりしてショーツを下ろすと、鮮血でショーツはビショビショに濡れていた。

妊娠について扱ったドラマで、赤ちゃんに危険が迫ったときに、足を伝って血が流れ落ちる、そんなワンシーンと全く同じ。

足を伝って床に血がどんどん落ちていく。

心臓がバクバクと早くなり、手が震えだす。

とりあえず生理用ショーツとナプキンに変えていると、夫が起きてきて、床に流れる血を見つけて慌てていた。

すぐに事態を察してくれた夫が床を拭いてくれている間に私は病院へ電話をした。

 

時間的に夜間窓口へ繋がり、電話口には男性が出た。

総合病院のため取り次ぎをしてもらわなくちゃいけないので、産婦人科に通っていること、名前、妊娠週数、今どんな状況なのかなど説明した。

男性は私の説明に

「はぁ、はぁ」

と無感情な返答をする。

焦りと不安の中そんな返答に若干不審に感じていると、男性は

「少々お待ちください」

と言って保留にした。

産婦人科に繋いでくれているのかと待っていると、今度は女性が出た。

私は自分の名前と状況だけ説明すると、女性は

「えっと…どういうことですか?」

と言った。

男性に説明した内容が何一つ伝達されておらず、また一から説明することに。

しかもなんと産婦人科へ繋いでくれて今話している女性は産婦人科の看護師さんかと思っていたら、私の説明を聞いた女性は

「わかりました。じゃあ産婦人科に確認しますのでまた折り返しますね」

と言って電話は切られた。

 

はああぁぁぁ‼︎?

 

最初に出た男性はいったいなんだったんだ‼︎?

内容を伝えてくれるわけでもなく、ただただ話を聞くだけ聞いて窓口の別の人へ電話を投げただけじゃないか‼︎

 

不安で今すぐにでも病院に行きたい。

1分1秒が惜しいというのに、そんな対応に焦りと不安は増幅され、苛立ちも感じた。

 

折り返しの電話が来るまで、私はそばで不安そうに見ている夫へ説明し、2人で病院へ行くための準備をした。

2〜3分程して折り返しの電話があり、すぐに病院に来てください、とのことで車に乗り込んだ。

車の時計を見ると4:30。

この30分の間に赤ちゃんに何かあったらどうしよう…。

過去に一度流産を経験している私は、嫌なことばかり考えてしまう。

病院は車で15分程の場所。

それほど遠くないはずなのに、やたらと遠く感じた。

 

病院到着

夜間専用入口から入ると、おそらく電話に出てくれた窓口のスタッフの方が車椅子に乗せてくれた。

そのまま産婦人科病棟へ連れて行かれ、産婦人科病棟に到着したら看護師さんが待っていた。

夫は産婦人科病棟の待合室で待機になり、私だけ看護師さんに連れられていった。

 

先生もいて、エコーや内診をされ、とりあえず血は止まっていて、中にも残っていなさそうであること、赤ちゃんもめちゃくちゃ元気に動いていることを伝えられた。

念のためモニターをつけられ、お腹の張り具合を確認することになった。

20分ほど時間がかかると言われ、その間部屋に私一人になったタイミングで夫へ状況を説明。

モニターを装着されている間に先生から切迫早産の話や入院の話などを聞かされたので、それを夫へ伝えた。

 

モニターでの検査が終わり、今すぐ入院するほどではないので一度帰宅し、改めて翌日に再検査し、そこで入院になるか決めるという話になった。

看護師さんからは入院になっても大丈夫なように準備だけしておいてくださいと言われたので、帰宅後入院バッグを準備した。

すでに1週間前くらいにお産の時の入院バッグの準備はほぼ終えていたけど、今回は切迫早産の時のための入院になるので、足りないものを詰めたりしてその日は終えた。

 

再検査

翌日朝一で再検査に向かい、異常がないことを願っていたら、

「正直、なんで出血したのか、本当に出血したのか、と思うくらい異常がないです」

と言われた。

お腹は張りやすくなってはいるものの、切迫早産になりかかっているというにはあまりにも異常がないようで、先生は

「もし、なんで出血したのか説明して、と言われたとしても困ってしまうくらい何もないです」

と苦笑いしていた。

昨日の大量出血はいったいなんだったのかと、本当に不思議だけど、兎にも角にも本当に何もないようで安心した。

張りやすくなっているということで張り止めの薬を貰い、無事に入院することも自宅安静と言われることもなく帰宅した。

一応産休に入るまで残り8日だったけど、仕事内容を先生に伝えると、早めに産休に入ったほうがいいとだけ言われたので、そうすることにした。

 

結局その後2〜3日はお腹が張りやすくて少し痛かったり、体がだるかったりしてベッドで過ごしていたけど、今は元気になった。

赤ちゃんは私の心配をよそにケロッとした様子でお腹を蹴りまくっているし、本当にあの日はなんだったのか不思議だ。

 

でも、モニターをつけて検査をした時に、私が気付かないうちにお腹が何度か張っていることがわかった。

もしかしたら今回の出血事件がなければ、張りに気付かず放置して、切迫早産になったり、緊急入院になったりしていたかもしれない。

仕事柄かなり体を動かすうえに立ちっぱなしで、産休までまだ日にちがあったから、赤ちゃんが

「無理するなよ〜」

って教えてくれたのかな?、なんて夫と話した。

すごく焦った大事件だったけど、とりあえず何事もなくてよかった。

どうかこれからも何事もなく、無事に予定日を迎えられますように、そう毎日願っている。

バタバタの日々

 

随分とご無沙汰になってしまっていたこのブログ。

前回更新してからバタバタとした日々を過ごしていました。

 

バタバタその1が、つわりが酷くて妊娠初期~12月まで休んでいたけど、1月から職場復帰したこと。

人手が少なくほぼ私一人で業務を回しているような会社なので、休んでいた分を取り戻すようにかなり忙しかった。

 

バタバタその2が、なんとそんな復帰したばかりのなかインフルエンザにかかってしまったこと。

この時期かなりインフルエンザが流行っていて、接客業だから感染リスク高いし、と思ってかなり気をつけていたのに、バッチリかかってしまいました。

高熱や薬でお腹の赤ちゃんに何かあったらどうしようと不安になっていたけど、熱自体は38℃が初日数時間出ただけで、その後すぐに微熱に下がったので特に問題なかった。

薬も知らなかったけど、インフルエンザの薬って(種類によるかもだけど)飲んでも大丈夫らしい。

というわけで何だかんだ大したことなく終えられた。

 

けど、昔から喉が弱くて、風邪をひいたりしたら咳だけ長引く体質で、今回もかなり長く・・・たぶん3週間くらいはずっと咳出てた。

咳止めもらっても全然効かなくて、インフルエンザになってそれが一番辛かった。

 

バタバタその3は、咳が出続けている2月、職場に新しく3人スタッフが増えたこと。

ほぼ私しかスタッフがいない状態なので、新人研修で教える役割も私しかおらず、3人同時に教えるのにかなり忙しかった。

 

そして気付いたらもう3月も終わろうとしている。

師走・行く・逃げる・去る、とは言うけど、バタバタしていたこともあって本当にめちゃくちゃ早かった。

お腹も随分と大きくなって、すっかり重たくなってきた。

 

出産予定日まですでに2ヶ月を切っていて、ここからいろんな準備だったりでまた一瞬で過ぎ去りそう。

稽留流産④〜新たな命〜

タブーの話題

現在妊娠中で5月に出産予定の私が、どうしてまた赤ちゃんがほしいと思ったのか。

そう思うまでにたくさんの時間と葛藤があった。

 

前回流産してから、今回また赤ちゃんがほしいと思い妊活を始めるまで、およそ2年が経過していた。

その間、挙げていなかった結婚式をしたり、転職をしたり、充実した日常を過ごしていた。

最初は、また同じことを繰り返したらどうしようと、すぐにまた赤ちゃんがほしいと思うことはできずにいた。

夫婦の間では私たちの赤ちゃんの話は暗黙の了解でタブーのような扱いになっていたし、友人の妊娠・出産の話なんかもなんとなく軽く話すことくらいしかできずにいた。

ありがたいことに、私や夫の両親も

「早く孫の顔を」

なんてことは言わず、だけどわざとその話を避けて気を遣っているような雰囲気も見せず、ごく自然に振る舞ってくれていた。

身内からのプレッシャーがなかったことは本当にありがたかった。

きっと急かされていたら、私はますます考え込んでしまって余計にまた赤ちゃんを授かりたいとは思えなかったと思う。

そうしてゆっくりと時間を過ごすうちに、次第に赤ちゃんがほしい!

と強く思えるようになった。

 

きっかけ

また赤ちゃんを授かりたいと思えるようになったのは、特別なこれ、という一つのきっかけがあったわけじゃない。

だけど、友人の産まれたばかりの赤ちゃんに会った時や、街中で小さい子を見かけた時。

可愛いベビー服を見つけた時。

ふいに、夫を父親にしてあげたい。

そう思ったのが最初。

それから次第に、この手に我が子を抱きたい。

一緒に手を繋いで外に出かけたい。

と、私が母になりたい、という気持ちも強くなっていった。

それでもまだ怖さは消えず、少しの迷いがあった。

だけど、背中を押されるように妊活を始めたきっかけは、夫の両親と食事をした時。

結婚してから毎年、夫の両親が夫と私を一緒に連れて行ってくれる特別な場所がある。

宿もあり、一泊二日で、豪華な夕食と朝食を食べられる場所。

そこへまた連れて行ってもらった時、夕食を食べながら思った、

もしここに我が子がいたら。

夫の両親がおじいちゃん、おばあちゃんとして、我が子をあやしながら食事を一緒にできたら。

それは私にとってとても幸せなことだと、そう思ったら、一気に吹っ切れたような気がした。

それまでずっと消えない葛藤があり、それを抱えたまま新たな命を授かってもいいのか不安になっていた。

だけど、きっと私が抱える葛藤は、完全に消えることはない。

この葛藤が消えるとしたら、それは我が子をこの手に抱いた時。

無事に出産を終えるまでは、一生消えることはないんだから、それなら不安を抱えながらでも、前に進むべきだと、そう思えた。

 

2回目の妊娠

夫とタブーになっていた赤ちゃんの話をした。

その時、初めて夫がどう思っているのか聞くことができた。

夫はやっぱり子供がほしいとそう思ってくれていた。

だけど、私の体や心のことを何より心配してくれていて、私を第一優先に考えてくれていた。

お互いの思いを確認し合い、私たちは妊活をスタート。

妊活を始めてからおよそ半年で今お腹の中にいる子を授かった。

健診はずっとドキドキしっぱなしだった。

まだ胎動を感じる時期じゃないから、赤ちゃんが生きているのかどうかは月1の健診でしかわからない。

また流産していたらどうしようと、毎回の健診で緊張と不安を抱えていた。

だけど私の心配をよそに赤ちゃんは元気にすくすく成長し、気付けばもう妊娠6ヶ月。

最近は毎日元気な胎動を感じることができて、ようやく日々の不安から少し解放された。

5月の予定日まで残り4ヶ月。

さらに大きくなるお腹に大変なこともあるかもしれないけど、今度こそ、無事に産みたいと強く思う。

 

かすり傷とかと違って、流産という経験はその時の苦しみに終わらず、その後の生活にも根深く残り続ける。

それを経験したからこそ、同じような体験をした人の支えに少しでもなりたいし、経験していない人が知るきっかけになってほしい。

そんなことを思って、私の流産体験談を綴ってきた。

たまたまこのブログを見てくれた人が少しでも、こんな体験をした人がいるんだということを頭の片隅にでも記憶してくれると嬉しいな。

稽留流産③~手術後~

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帰宅

手術を終えてからおよそ一時間ほど動けずに病院のベッドで休んだ。

その間に2回吐いた。

万全では全くなかったけど、早く帰ってゆっくりしたい気持ちもあって、なんとか動けそうと思って帰宅することにした。

当日婚姻を終えておらず、住んでいるところも別々。

病院からは夫が一人暮らししている家の方が近かったので、そのまま夫の家の方へ帰った。

車で15分くらいの距離だったと思うけど、もともと車酔いしやすい体質なうえに、麻酔の効果もあって、かなり吐き気がすごく、ちょうど着いた時にまた吐いた。

完全には回りきっていない頭でフラフラの状態で部屋に入り、私はそのままベッドで眠った。

手術が午前中開始で、お昼過ぎには帰宅していたけど、起きたらすっかり夜になっていた。

目を覚ましたらいい香りがして、キッチンに夫がいた。

手術前、私は

「手術が終わったらカレーが食べたい」

と夫に言っていた。

特別カレーが一番好きな食べ物ということもないし、思い出も別にないのに、なぜかカレーが食べたかった。

私が眠っている間に材料を買ってきてくれたようで、カレーを作ってくれていた。

すっかり吐き気やだるさはなくなっていて、前日の夜以降何も食べてなかったから、1日ぶりの食事にお腹が空いた。

カレーの材料の他にも、いろんなお菓子を買ってくれていた。

普段間食をせず、自らお菓子を買うことがあまりない夫だけど、甘いものが大好きな私のためにたくさん買ってくれていた。

この時食べたカレーは家でよく作られるルーを使った普通のカレー。

特別な隠し味が入っているわけでもない。

だけどとにかく美味しかった。

しばらく私の中で夫が作ってくれるご飯で一番好きなものランキング1位になっていたほど。

きっとこのカレーの味は一生忘れることはない。

 

心の不調

手術の翌日は仕事を休んだ。

病院から、広がった子宮が収縮するのにしばらく痛みがあるけど、度合いが人それぞれだから次の日から仕事に行く人もいる、と聞いていた。

だけど、私は痛みが少し強かったこともあり、1日だけ休んで、手術から2日後には復帰した。

事情を話していた上司からはすごく心配されたけど、何でもないようにいつも通りに振る舞っていた。

だけど、今思えば、しばらく休むべきだったかもしれない。

 

当日担当のお客様をたくさん抱える仕事だったのと、事情を話していない他のスタッフになんて説明すればいいかわからないと思い、早く復帰した。

だけど、自分が思っていたよりも、私は強くなかった。

初めての妊娠で流産になり、手術をしたのが1週間内のこと。

頭の中にはずっと赤ちゃんのことばかりが浮かんで、自然と涙が出てきそうになる。

それを、仕事中だからとグッと堪えていたけど、日にちが経つにつれ薄れていくどころか、どんどん蓄積されていった。

心の整理ができていない、グチャグチャのまま放ったらかしにしていたら、そこに積みあがってきた悲しみで心は壊れていった。

 

流産の原因

手術終わりから日が経つにつれて、次第に流産の原因を考えるようになっていった。

稽留流産はお母さんの日常生活は関係なく、赤ちゃん自身の染色体異常が原因だとわかっている。

だけど、本当にそうだったのかな?

私に落ち度は本当になかったのかな?

あの時の行動がダメだったんじゃないかな?

あの時抱えていたストレスが原因じゃないかな?

そうやって、自分を追い詰めて原因探しをしていた。

探したところで正解が出るはずもないし、もしわかったところで赤ちゃんは帰ってこないのに。

そんな風に毎日考えながら、普段通りの仕事をこなし、結婚のための準備を進めて、忙しい毎日だった。

流産から約4ヶ月後、私たちは一緒に新居で一緒に住み始め、籍をいれ、晴れて夫婦となった。

それから約2ヶ月後、突然足元が崩れ落ちるように、私の心は限界を迎えた。

 

うつ病

どうして赤ちゃんは死んじゃったんだろう。

それなのにどうして私は生きているんだろう。

そんな風に考えるようになって、ある日突然外に出られなくなった。

いつも通り朝の支度を終えて仕事に向かおうとしていた。

玄関までいつも見送りに来てくれている夫に手を振り出ていこうとしたのに、急に涙が溢れて、立っていられなくなって、仕事に行けなくなった。

一度崩れてしまったら元に戻ることができず、その日を境に仕事へ行くことも外出することも怖くなって、ベッドの上で過ごす日々が続いた。

しばらくして、うつ病になっているのではないかと思い、手遅れになる前にどうにかしなければと、精神科へ行った。

その時、軽度のうつ病だと診断された。

放っておくと軽度ですらなくなっていたと思うから、早めに病院へ行ったことは不幸中の幸いだったと思う。

 

その後病院へ通いながら、夫の助言もあり、仕事を辞めて半年ほどゆっくりと過ごし、ようやくまた社会復帰できた。

その頃には亡くなった赤ちゃんのことを執拗に引きずり毎日考えて、自分を責めるというようなことはなくなった。

ただ、すぐに赤ちゃんを授かりたいという気持ちは湧いてこなかった。

また同じことになったらという怖さが先立って、なかなか前に進めなかった。

稽留流産②〜手術当日〜

 

稽留流産手術当日

病院と決めていた日程は、流産発覚から3日後だった。

手術のために必要なものがいくつかあり、例えば

バスタオル2枚

生理用ショーツ

夜用の生理用ナプキン

など。

どこかを切るわけではないけど、手術後に血が出る可能性があるため、生理用ショーツにナプキンを装着した状態のものを手術後の着替えとして用意してほしいと言われた。

 

予定の時間に病院へ向かうと、すぐにエコー検査が始まった。

本当に赤ちゃんの心臓は動いていないか最終確認。

何度もドラマのように

「奇跡的に戻ってます!」

となればいいなと願った。

もちろんそんなことあるわけはなく、まだ小さくて、人間らしい姿になりきれていない、だけど確かに生きていたはずの赤ちゃんは、やはりもう動いてはいなかった。

 

いよいよ手術が始まる前、手術部屋へ夫と一緒に通され、ベッドで横になっているよう言われた。

手術の準備をするから待っていてと言われ、最後の3人の時間を過ごした。

夫はずっと私の心配をしながら、何度も手を握ってくれて、頭を撫でて、お腹をさすってくれた。

成功確率の低い、高難易度の手術をするわけではないのに。

だけど、夫のその優しさのおかげで、私はようやく手術に向き合えた気がする。

 

手術時間はそれほどかからないけれど、全身麻酔を行うので、手術後しばらく気持ち悪さなどがありすぐには帰れないだろうと病院から説明された。

私は幸い昔から手術が必要になる病気や怪我をしたことがなかったので、手術自体初めての経験だった。

そのため、全身麻酔なんてもちろん初めてで、少し緊張した。

 

手術が始まる時、夫は外で待つために部屋を出て、そのすぐ後、私は繋がれた点滴から流れてきた麻酔で一瞬で眠りについた。

 

手術開始

眠っている間に手術は行われていたので記憶は全くないはずだった。

 

arupakory.hatenablog.com

こちらのブログでも書いていたように、私は赤ちゃんがいなくなる瞬間を目の当たりにしたくなくて全身麻酔を選択していた。

だけど、手術中私は一瞬だけ目を覚ました。

腹部と下半身に激しい痛みと、掃除機のようなもので吸い上げられていく音。

本当にたった10秒…それほどもないくらい一瞬だけど、目を覚ました私に気付いた先生が急いで麻酔を強めたのか、また私はすぐに眠りについた。

 

手術終了

次に目を覚ました時、私は着替えさせられていて、ベッドにそのまま寝かされていた。

「大丈夫?」

と不安そうな声で名前を呼ばれて、ようやく夫が隣で手を握ってくれていることに気付いた。

夫がナースコールを押してくれたのか、看護師さんが入ってきて私の状態を確認してくれた。

ぼーっとする頭で受け答えをして、異常がないことを確認すると、看護師さんは袋を用意してくれた。

麻酔をした後気持ち悪くなって吐く人がいるとのことで、嘔吐物入れとして用意してくれたようだった。

なんとか動いて帰れるようになるまで一時間ほどそのままベッドで横になり、その間に私は2回ほど吐いた。

 

不思議な体験

帰れるようになるまで、ゆっくりと夫と話をした。

私が目を覚ます10分ほど前に夫は来ていたようで、部屋に入って来た時は心拍がかなり早く、もともと低血圧の私の血圧がかなり高くなっていて驚いたそう。

徐々に通常通りになっていく数値を見て安心しながら待ってくれていたらしい。

 

少しずつ意識がはっきりしてきて、私は手術中の事を話した。

全身麻酔の場合、麻酔が途中で切れることはめったにないそう。

だけど、私は途中で目を覚ました。

目を覚ましたその時は激しい痛みで何も考えられなかったけれど、手術が終わってから、あれは最後のお別れだったんだと思った。

きっとあの時の激しい痛みと、掃除機のようなもので吸われている音は、赤ちゃんが私のお腹から取り除かれる瞬間だった。

意識のないうちに取り除いてほしい、

赤ちゃんがいなくなるのを目の当たりにしたくない、

なんて弱い私とは違い、赤ちゃんは最後に私にお別れを伝えてくれたんだと思う。

別れを意識したくなくて全身麻酔を選んだけれど、それでも最後にお別れがきちんとできてよかったと心から思った。

もしかしたらちゃんとお別れができずにいたら後々後悔するはずだと、私の性格を知って、赤ちゃんが一瞬目を覚まさせてくれたのかもしれない。

夫も、手術終わりに連絡をした母も

「きっとそうだよ」

と言ってくれた。

我が家のお雑煮事情

あけましておめでとうございます!

 

我が家は毎年元旦の朝にはお雑煮を食べるのが定番。

人参と大根で一応紅白を意識して、鰹や椎茸などの出汁に焼いた白いお餅を入れるのがアルコリ夫婦のお雑煮。

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そういえばお雑煮ってお汁やお餅の種類が家庭によって全然違うよね。

私の実家では母がお餅が苦手ということからお雑煮を食べるという習慣はなかった。

なので、お餅大好きだった私は実家にストックがいっぱいあった、お湯を注ぐだけでできる粉末のうどん出汁にレンジで温めた白いお餅を放り込んだ即席お雑煮を1人で作って食べてた。

いつの間にかこれが実家の味というか、私の中でのお雑煮の味になっている。

 

そこから人参や大根を入れたり、出汁パックで出汁をとったり、お餅を焼いたり、と少し改良されたのはアルパカ夫と付き合ってからだ。

 

付き合ってから2人で迎えた最初のお正月の時、アルパカは歯科矯正のためお餅を食べられなかった。

そこで私はスーパーで見つけた餅粉入りのお麩をお餅代わりにしてお雑煮を作った。

当時一人暮らし中のアルパカの冷蔵庫にあったのは人参と大根。

お味噌を入れてしまうとお麩入りのただのお味噌汁になってしまうと思ったので出汁で作った。

 

こうして完成したのが我が家のお雑煮。

翌年からお餅を食べられるようになったのでお麩はお餅へ変更されたけど、それ以外は概ね変わらず。

 

アルパカは私の作ったお雑煮に対して全く違和感を感じている様子はなく食べていたけれど、お雑煮って家庭によって結構違いがあるから、言わないだけで違和感を感じているんじゃないかな。

と思っていたけど、

アルパカの実家へ新年のご挨拶に行ったときに食べさせてもらったお雑煮が、なんと私の作ったお雑煮ととってもよく似ていた。

出汁に白いお餅、人参と大根が入っている。

出汁の味の違いがあるくらいでその他は一緒だ。

偶然にも同じタイプのお雑煮を作っていたことがなんかすごく嬉しかった。

 

お雑煮って本当にいろいろ種類がある。

あんこのお餅が入ったお雑煮をSNSの投稿で見たとき、ぜひ一度食べてみたいと思ったけど、まだ試せていない。

オススメのお雑煮があればぜひ知りたいな。